おかげさまで4月22日に五十日祭(仏式でいう四十九日)の法要が終わりました。
まだやらなくてはいけないことが少し残っていますが、だいぶ落ち着いたので「身内が亡くなった時どうなるか」ということを少しずつ書いていこうかと思います。
今回は役に立つ話ではありませんが、思い出話として書いていこうと思いますので、お時間よろしければお付き合い下さい☆
お母さん、ありがとう
お気に入りの一枚♡
ちなみに母はバイクの免許を持っていません^^;
突然のことでした
とっても天気のいい日曜日でした。
鼻歌を歌いながら掃除機をかけていたら兄から電話がかかってきました。
いつもふざけた調子でかけてくるのですが、その日は違いました。
「今オカンの心臓が止まってん。病院に向かってるねんけど、もう心臓マッサージはやめてもらってもええか?」
最初は何を言ってるのか理解できませんでした。こんな冗談はいくらお兄ちゃんでもアカンと思ったけど、声のトーンで冗談じゃないと分かりました。
電話を切ってすぐ主人と一緒に帰省しました。
全然会わせてくれませんでした
昼に電話がかかってきて、夕方に実家に到着したのですが、母に会うことはできませんでした。施設から病院へ搬送中に亡くなったので、「変死扱い」になるんです。そのため検死が終わるまで、私たち兄妹は親族に連絡したり、葬儀のことをネットで調べたりして待っていました。
結局母に会えたのは22時頃でした。
死因はおそらく「急性心筋梗塞」であろうとのことでした。ハッキリした原因が分からないかもしれないので、解剖には回しませんでした。
母らしい最期だった
後日施設の方から聞いた話なのですが、亡くなった日の朝はちゃんとご飯を食べ、排泄も済まし、いつも通りだったそうです。お昼ご飯の前、様子を見に行った職員さんが息をしていない母を発見し、そのまま亡くなりました。
母は昔からどれだけ体調が悪くても、必ず三食の食事をとっていました。「1番の薬は食事から」とよく言っていましたからね。
その話を聞いて、お腹いっぱいの状態で天国に行けてよかったな、お母さんらしいなと思いました。
通れなくなった道
実家から病院に向かう途中の道。
夢であって欲しいと願いながら走った道。
忘れられない道。
帰省中に一度通りましたが、辛かった…。
あの道はもう通りたくないです。
二度目の新婚生活
5月3日は父と母の誕生日でした。
そうです、私の両親は同じ誕生日なのです!!
そんな父は私が5歳の時に他界しました。
結婚して10年も経たずして離れ離れになってしまったので、30年振りにまた一緒になれて喜んでいることでしょう。母は父のことが大好きでしたからね♡
おわりに
亡くなった日も、お通夜・お葬式も、そして五十日祭の日もとってもいいお天気でした。笑顔が太陽のようにまぶしい人だったので、残された私たちに「元気出しや!!」と言っているかのようでした。
今年のゴールデンウィークは体調も良く、今まで会えなかった人に会う機会が多かったので、とっても楽しくて幸せな時間を過ごせました。スマホやパソコンを見る余裕もないくらい充実した連休を過ごせたのは久し振りのことでした。
お休みしている間も見に来てくださったり、コメントをしてくださった方、本当にありがとうございました!!またボチボチ再開しようと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします♪
書きたいネタがたくさんあり過ぎて、でもうまくまとめられなくて下書きがえらいこっちゃになっているりえっこなのでした☆
最後まで見てくださってありがとうございます。
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